「お母さん、牛のワッペンない?」
家庭科の授業で強制的に買わされた裁縫箱。
その収納袋を授業で作りました。
無地の袋じゃサミシイ。何かつけたい。牛にしよう!
無地の3段活用です。
なぜ牛なのか?それはわかりません。
ウスラ馬鹿な息子はいつでも素っ頓狂なのです。
今夜もしたたか酔っています。
ブルースをかけてさらに深い酔いを演出してみようか。
突然ぼんやりアタマに、
「明日はスーツで出かけるんだったっけ。」
とマトモな考えの邪魔が入りました。
普段はジョギング用のジャージーばかり着ている自分、
滅多に着ないスーツを押入れの奥から引っ張り出します。
するとダランとぶら下がったボタンがついたモノが、
哀しく自分の前へと現れました。
溜息とともに小さく舌打ちしましたが、
自分がやるしかありません。
小学5年生のときから使っている裁縫箱を取り出しました。
その収納袋には牛のアップリケがついています。
「そんなものがある家聞いたことないよ。」
母は当然のことを言いました。
しかしすぐに、
「じゃあ作ってやるよ。」
と今度は意外なことを言いました。
母は何色か布を取り出し、
牛のパーツを切り出しながら言いました。
「あたしの田舎には牛がいたんだよ。」
母の実家は農家でした。
「あそこに納屋があんでしょ。
元は牛小屋だったのよ。」
布を切る手を止めて、
母は少し遠いところを眺めました。
自分も一緒になってそっちを見てみましたが、
何があるわけでもありません。
母が話しを続けます。
「ある日ね、肉屋かなんかのトラックが来たの。
牛を押っぺしたり引っぱたりしてやっとこ乗せて、
肉屋のおじさんがバタンって扉を閉じたの。
そしたら牛が『モー』って泣いてさ、
おっきな目からポロポロって涙流したのよ。
きっと全部わかったんだと思うの。
あたし、かわいそうで一緒に泣いちゃった。」
母は一回だけ小さく鼻をすすると、
また切り出し作業に戻りました。
自分は牛の裁縫箱をしばらく眺めると、
『今夜はブルース聴いて針仕事だな。』